#0357 いのちの気配
友人の帰省に合わせて、釧路に遊びに行かせてもらった。浜中町といって、乳製品と昆布が有名。牛乳をハーゲンダッツに卸しているそうだ。
空港からバスに乗ったら、見渡す限り茶色い。牧草を刈ったあとの農場と、葉が一枚もない木々のせいで、そう見える。遠くまで見通せる平地に、冷たい海風が吹く。霧多布岬には「恋する灯台」があるのだけれど、この時期は全体としてやっぱり茶色で、全然ロマンチックじゃない。しかも、動画を撮ったらブレるほどの強風で、本当に寒かった。
パッと見たら「荒涼としている」と言えそう。でも、その表現に違和感を覚えた。なぜだろう。
景色をずっと眺めてみてわかった。いのちの気配がするからだ。
春の合図が来たらいつでも動けるよう、生きている何もかもが着々と準備している。だから「荒れ果ててものさびしい」感じがしない。何もないように見えても、確実に、完璧に、何かが進んでいる。
大切なメッセージを、受け取ったような気がした。
#0356 スピーキングの上達と性格の関係
英語圏に暮らした経験がある知り合いは、普段も話し好きで、情報通。人に対してすごく興味がある。
他方、私は人見知り気味。母語の日本語でさえ、どちらかと言えば聞き手に回りたい。
学生の頃サマーコースを聴講しに行った時、こんな体験をした。
私がちょっと話し始めると「あぁ、それってこういうことよね、ぺらぺらぺら」と返されてしまい、「う、うん…」と黙ってしまうことがたびたびあった。
さて。知り合いと私のどっちが、リアルな会話を元にしたスピーキングの上達が速いか。
何語を使おうとも「これを言いたい!この人と話したい!!」という情熱に敵うものはない。語学力の話だけじゃないと思う。でもじゃあムリして話せばいいかといえば、恐怖の中では学べない。
そんな実体験を元に、性格に合った学習法を提案したいと強く思う。