#0375 「わからない」にいること
内田樹さんのこの記事から受け取ったものが大きすぎて。
ひとつ、ことばにできそうなことがある。私が大尊敬しているアレクサンダー教師、キャシー先生がよく言うことと似た考えを見つけられた。
読解力というのは目の前にある文章に一意的な解釈を下すことを自制する、解釈を手控えて、一時的に「宙吊りにできる」能力のことではないか。(記事より)
すぐにこの場で答えが出そうにない、大事な問いにレッスンで出会うと、キャシー先生はよくこんなふうに言うのだ。
「それはfloating questionにしておきましょう」
ふわふわ、ぷかぷか、浮かせておいて、眺めても取りに行ってもいいし、問いの方が自分で動いたりするかもしれないから、しばらくそんな感じにしておいたらどうかしら、というお誘い。これの日本語訳は「宙吊り」がいいのかもしれない。いや、ちょっとこわいかな。どうだろう。
「わからない」と言えることや、「わからない」にいられることは、どうやら学びのプロセスにおいてとても大切らしい。
#0374 花粉症も肩こりも治ったらどうしよう!鍼灸治療3-④b
花粉症治療を目的とした鍼灸、3ターム目(過去記事は「花粉症」カテゴリからお読みいただけます)。
先日急に訪れた高尾山は思いのほか杉で構成されていて、鼻をかみ、マスクもとれず、さながら高地トレーニングのようになった。とはいえ、お花見は楽しめた。治療の効果だと思う。
面白いのは、帰ってきてからの東京で、ほとんど症状が出ないこと。花粉はたくさん飛び続けている時期のはず。耐えられる閾値が変わったのかもしれない。
冷えが改善されたので、家でのお灸は終了。そういえば、冷えることも、花粉を浴びることと同じくらい恐怖だったな、と思う。今は、怖くなくなった。自分に今どのくらい症状が出ているのか見極めて、適切な対処をすればいいと知っているから。
ひょっとしたらこれが、治療を受けて一番ありがたかったことかもしれない。花粉を恐れなくてもよくなったこと。花粉症の自分と敵対しないで済むこと。