#0357 いのちの気配
友人の帰省に合わせて、釧路に遊びに行かせてもらった。浜中町といって、乳製品と昆布が有名。牛乳をハーゲンダッツに卸しているそうだ。
空港からバスに乗ったら、見渡す限り茶色い。牧草を刈ったあとの農場と、葉が一枚もない木々のせいで、そう見える。遠くまで見通せる平地に、冷たい海風が吹く。霧多布岬には「恋する灯台」があるのだけれど、この時期は全体としてやっぱり茶色で、全然ロマンチックじゃない。しかも、動画を撮ったらブレるほどの強風で、本当に寒かった。
パッと見たら「荒涼としている」と言えそう。でも、その表現に違和感を覚えた。なぜだろう。
景色をずっと眺めてみてわかった。いのちの気配がするからだ。
春の合図が来たらいつでも動けるよう、生きている何もかもが着々と準備している。だから「荒れ果ててものさびしい」感じがしない。何もないように見えても、確実に、完璧に、何かが進んでいる。
大切なメッセージを、受け取ったような気がした。